去年6月下旬にアメリカで行われたCDC(疾病対策センター)の調査結果は衝撃的なものでした。18歳から24歳の若者のうち4人に1人が過去1カ月の間に自殺を真剣に考えた、というのです。コロナウィルスへの恐怖や、失業による経済的問題、将来が見えないことへの不安などが原因だと思われます。
日本でも多くの方が先行きに不安を感じており、言いようのない閉塞感、恐怖感を感じているのではないでしょうか。また問題はウィルスだけでなく国際関係もいつアメリカと中国の間で戦争が始まるかも分からないような状況です。
近年は災害も世界各地で猛威を振るっており、「〇十年に一度の水害」が毎年のように起こっています。このような状況を見て「神なんていない」と言う人もいるでしょう。しかし本当にそうなのでしょうか?


以前私はこのような話を聞いたことがあります。あるクリスチャン(Aとします)が理髪店に行ったところ、店主が「神なんていない」とつぶやいたそうです。「神がいるならどうしてこんな悲劇が起こるのか」と言う店主にAさんは何と答えていいか分かりませんでした。
1ヵ月後再び理髪店を訪れたAさんは「理髪店なんてない」と言いました。店主は驚いて「ここにあるじゃないか」と言いましたが、Aさんは「先程ぼさぼさの頭の人がいた。もしこの世に理髪店があるならあんな悲惨な頭の人はいないはずだ。」と言ったのです。店主は「そいつが俺の店に来たら俺がきれいな頭にしてやるのに。そいつがそんな頭なのは理髪店がないからじゃなくて、そいつが理髪店に来ないからだ」と言いました。Aさんは「そうですね、神のご存在もそれと同じです。」と言ったそうです。

この世界に悲惨があると言うなら、それは神がおられないからではなくて、人間が神から遠く離れているからなのです。
神の造られた自然界を見るならば神が愛と恵みと力に満ちた素晴らしいお方であることが分かります。満天の星空を見上げる時に神の偉大さを、美しい花々を観察する時に神の豊かな感性を、人体の不思議に触れる時に神の知恵を感じないでしょうか?
大自然の圧倒的な光景を見ると私たちの心に言葉で言い表せない畏れや感動があります。それは自然界を通して、造り主である神を感じているのです。また神は私たちに日々必要な水・空気・食べ物などを豊かに与えて下さっています。しかし、私たちはこの愛の神に感謝して生きているでしょうか?

聖書に次のような言葉があります。
私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。 -イザヤ書53章6節-  

文明は発展し、暮らしは便利になっていっていますが、それと同時に人間はそれらを使って益々罪深い生活にふけるようになっています。国家間・民族間の争い、会社の中でのパワハラ、不倫、家庭内暴力、子育て放棄、挙げればキリがないほどにこの社会は罪に溢れています。私たちは神がお与えくださった体を使って神を怒らせる罪を犯し続けているのです。神は聖く正しいお方ですからもし私たちが悔い改めずに生き続けるなら、死後に地獄で裁きを受けなくてはならないのです。私たちは本能的にこのことを感じているのです。それで多くの人は死を恐れます。コロナウィルスの問題でも、人々は結局、病気の先にある死を、もっと言えば死の先にある神の裁きを恐れているのです。

実に神も人間の世界にコロナウィルスや、戦争などが起きることを時に許容されることによって人々に警告を与え、その中の一人でも自分の死について考え、罪について考え、神について考える方が起こされるように願っておられるのです。ですから私たちは愛と恵みと力に満ちた神の前に立ち帰るべきです。神はそのように悔い改める者に救いを喜んで与えてくださるのです。神から離れた人間のために、神が救いを与えようとされたならば、それは間違いなく人の歴史に最も大きな出来事であったに違いありません。それでは、人類史における最も大きな出来事は何でしょうか?最も多くの人に良い影響を与え、今も与え続けている出来事は何でしょうか?それはイエス・キリスト様の誕生と死なのです。このことに議論の余地はありません。今年が2020年というのもイエス様の誕生から数えてそれだけの期間が過ぎた、ということですし、日曜日が休みになったのもイエス様が死後に復活されたのが日曜日であったのでクリスチャンたちが日曜日に礼拝を捧げたことによります。
神は約2000年前にイエス・キリスト様を人の体を取らせて世に遣わして下さいました。それは神に背いて生きてきた私たちの罪をイエス様に背負わせるためであったのです。
聖い神は罪を裁かずに見過ごすことはできませんが、愛なる神は私たちを裁くことを望まれず、かえってご自分のひとり子を身代わりにして下さいました。イエス様が十字架にかかって死なれたのは私たちの罪のためであったのです。なんと驚くべき愛ではないでしょうか。このことについて聖書は次のように語っています。
神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じるものがひとりとして滅びることなく永遠の命を持つためである。-ヨハネの福音書3章16節-
あなたが今日、神の前に悔い改めイエス様を自分の救い主として信じ受け入れるならあなたの罪は赦され、死後に地獄ではなく、天国に行く方とされるのです。神はこのような幸いをすべての人に与えたいと願っておられます。どうか「神なんていない」と真理から目を背けて生きるのではなく、このような時であるからこそ、神様の愛から出たご警告に耳を傾けて、イエス様を信じ受け入れる方であって下さいますように。