人は死後どうなるのか?

死の恐怖

 人にとっては恐怖であって、自分の周りから遠ざけたいものだと思います。事実、病院やアパートに4階4号室がないというのはよくあることです。それは「4」という数字が「死」と同じ音の響きがあるからでしょう。しかし死をいくら避けようとしても避け続けることはできません。確実に死はやって来ます。しかも死はいつやって来るかわかりません。数十年も先かもしれませんが、あるいは明日かもしれません。

ですから、いつまでも避けようとするのではなく、死と向き合うことが必要です。皆さまには、死について、特に死んだ後のことについて真剣に考えて頂きたいのです。

聖書が語る死と死後

聖書にはこのように記されています。

「また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。

・・・いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」  黙示録20章12、15節

聖書は、人間は死んだ後で神の御座の前に立ち、生きていた時の行いに応じてさばかれると語っています。神は人間が生きていた時に何を行ったのか、どんな事を考えていたのかすべてをご存知です。そしてその悪い考えや行いの全てについてさばきを行われるのです。また神を無視する人間の態度に対しても、さばきがくだされます。

「不義によって真理を阻んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。」   ローマ人への手紙1章18節

不敬虔とは神を神として認めず、神を無視する人間の態度のことです。人間は誰も自分の力で生きているのではなく、神の創造された世界の中で、神によって生かされています。それは私たちの周りを見れば気付くことです。

この世界には人間が生きていくために必要な太陽の光や空気や水などが適切に備わっています。それらは人間にとって非常に都合良く配置されています。まるで産まれて来る子どものことを考えている親が、おむつやミルク、ベッドなどを用意しているようです。私たちが生きるために必要なものが備えられていることを見れば、神がおられることは誰の目にも明らかです。

ですからその神を認めて感謝をしなければならない人間が、神を無視するなら、その不敬虔のゆえにさばかれなければならないのです。そのさばきの場所とは、火によって永遠に焼かれ苦しみ続ける地獄です。これがあなたの死後に待ち受けているものです。もしこの地獄からの救いについて真剣に考えずに生きるなら、地上での数十年の人生が幸せであったとしても悲惨なものとなってしまいます。

死後の裁きからの救い

感謝なことに、聖書は地獄からの救いについても語っています。

「キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。」  ペテロの手紙第一 3章18節

「もし、あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」   ローマ人への手紙10章9節

神はあなたを愛され、あなたを死後のさばきから救うために、ご自分の愛するひとり子イエス・キリストを救い主としてこの世に遣わしくださいました。

イエス・キリストは、あなたの罪を背負い身代わりにさばきを受けて十字架の上で死なれました。しかし死んで墓に葬られたイエス・キリストを、神は死後三日目によみがえらせ、この方こそ唯一真の救い主であることを証明してくださいました。今は誰でもイエス・キリストを救い主として信じるなら、すべての罪が赦されて、死後のさばきの場である火の池から救われて、永遠の天国に入る者とされます。

あなたがこれからどのような人生を歩むかはわかりません。しかし死後には天国に行けるという希望を持つことができます。ですから、どうか神のことばである聖書の教えに耳を傾けてください。イエス・キリストを救い主として信じ受け入れ、天国に行ける方となってください。

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