古代イスラエル王国にソロモンという王様がいました。彼には最高の地位と名誉と富があり、欲しいものは何でも手に入れることができました。なんと彼の妻とそばめは1000人もいたのです!
また彼は非常に賢く知恵を用いて、海外貿易を積極的に行い、経済的に発展させました。また内政においても民を公正にさばき、国を平穏に治めることができました。一口に言ってソロモンは人生の成功者です。ところが誰もがうらやむソロモンの口から出てきた言葉は、「余は満足じゃ。」ではなく、「すべてが空しい」だったのです。
これは現代の忙しく生きている私たちが、自分の人生について立ち止まって考えなければならない言葉ではないでしょうか?
人間の中で、ソロモンほど恵まれた環境と才能にあふれた人はいません。そうであるならば私たちが心のおもむくまま生きたとしても、その人生は「すべてが空しい」という結論に至るはずです。実際に、この日本だけでも毎日57人以上の人が自殺しているのです。死にたいと思っている人はもっと多いことでしょう。それほど多くの人が人生に生きがいがない、すなわち空しいと感じているのです。なぜ私たちの人生は空しいのでしょうか?

目的がないから空しい

私たちの身の回りにある製品はすべて目的があります。たとえば腕時計は、人間に時を知らせる目的をもって造られています。ところがその腕時計が人間の手から離れて海底に沈んでいたなら、どれほど正確に時を刻んでいても、もはや意味をなさなくなります。
さて聖書は、人間が神様の愛の対象として、神様の栄光を表すために造られたと教えています。ですから人間の生きる本分は、その目的に従って神様を愛し信頼し神様に近づいて賛美礼拝をささげることなのです。ところが人間が神様から離れ、自分の欲望を追及して生きるなら、本来の目的を達成していません。ですから生きる意味と目的が分からず空しくなるのです。

真実な愛がないから空しい

普通、人は自分がだれかに愛され重んじられているときに空しさを感じません。しかし人間の愛は一時的で、些細なことで冷えてしまいます。仲の良い夫婦であっても、いずれ死が二人を引き裂いてしまいます。

すべてを失うから空しい

たとえあなたがすべてのものを手に入れ、幸せを満喫していたとしても、死が訪れたならすべてを失うことになります。あなたはどれだけ努力しても、結局永遠のものを手に入れることはできません。だから空しいのです。

空しさ以上の深刻な問題

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(ヘブル人への手紙9章27節)
 もし人間が死んで消滅するなら、人生ははかなく空しいとなるだけです。しかし聖書は罪人が死後に火と硫黄の燃える地獄で永遠に裁かれなければならないと教えています。本当の神様のご支配を拒み、自分の欲望を追及して生きることは、神様への冒涜であり不敬虔な罪です。あなた自身が永遠に裁かれることは、あなたが短い一生で得たすべてを失う以上に恐ろしい問題なのです。

神様の救い

ではどうすれば本来の人生に立ち返ることができるのでしょうか。
神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(伝道者の書12章13節)
 
まずあなたが自分の罪をおさばきになる神様を恐れることです。そして神様の救いの約束を信頼することです。その救いとはイエス・キリストの十字架の死と復活の御業のことです。キリストはあなたの罪のために、身代わりに十字架で罰をお受けになりました。そして死後三日目に復活され天国で生きておられます。
あとはあなたが主イエス・キリストをあなたの神様・地獄からの救い主であると信頼することです。そうすれば神様はあなたの罪を赦し、あなたを地獄から天国に救い入れ、ご自分の子として永遠に愛してくださいます。
そしてあなたに神様への感謝と礼拝をささげる本来の人生を歩ませてくださいます。
どうか主イエス様を信じて救われてください。
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。(テモテへの手紙第二2章4節)