多くの日本人が、天と地を創造された神のご存在を認めていません。それは、「たとえ神がおられても、自分の人生に大きな影響も与えない。だから特別に天地創造の神を信じなくても良いのではないか。」と考えているからではないでしょうか?
しかし、その考えがどれほど深刻な結果に至るのかをぜひ知っていただきたいのです。
そこで天地創造の神のご存在を認め、神を信頼する人をAさんとし、そうでない人をBさんとして比較してみましょう。
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あなたはなぜ存在しているのでしょうか? また、人間を何だと思われますか?
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【Aさん】
人間は、神様によって特別な存在として造られました。
神様が私の両親を通して私を生まれさせてくださったと信じています。
決して猿から進化したとは考えていません。
【Bさん】
神はいないのだから、私は下等動物から進化したものです。
私も動物も同じように偶然に発生したものです。
私はただ生まれたから生きているだけです。
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あなたの生きる目的は何ですか?あなたの考えに従った生き方は何ですか?
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【Aさん】
神様は人間をご自身の愛の対象として造られました。
ですから私の生きる目的は、創造主である神を礼拝し、神を愛し、神を
お喜ばせすることです。私は神の栄光を表す生き方を求めています。
【Bさん】
私は偶然に発生した動物に過ぎないので、人生の目的など特にありません。ただ生存競争に負けないように、自己実現のために毎日頑張っています。「自分の欲望を満たして人生を楽しむ」、これが私の生き方です。
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あなたは欲望のままに生きることが正しいと思いますか?
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【Aさん】
社会には多くの犯罪や、憎しみ、争い、ねたみがあります。それらが社会に不安を与え、多くの人の命を奪っています。
事実、お酒やギャンプル、不倫、麻薬などで、どれほど多くの家庭が破壊されていることでしょう。
人間が欲望のままに生きれば、自分と他人の人生を破滅させることは明らかです。
私は神様を信じ、罪を悔い改めました。いま私は神様とともに生きることができるようになり、毎日感謝しています。
【Bさん】
別に、欲望のままに生きることが悪いとは思いません。
自分が稼いだお金で好きな物を買い、おいしいものを食べ、やりたいように自分らしく生きれるなんて最高じゃないですか!
罪を悔い改めて神を信じるなど馬鹿馬鹿しいと思います。
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人生の最後には必ず死があります。死んだ先はどうなると思いますか?
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【Aさん】
私は、神の御子イエス・キリスト様が、罪人である私の身代わりとして、十字架の上で死なれ、復活され今も天の御国で生きておられる救い主であると心から信じています。
私はすべての罪を赦して頂いているので、死んでも地獄ではなく、必ず天国で永遠に生きることができます。ですから私は、尽きない喜びと感謝と希望を持って日々生きています。
【Bさん】
死んだ先のことは分かりません。私にとって、肉体の生きている間だけが全てです。なるべく長生きして、せいぜい人生を楽しもうと思っています。
自分が死ぬことは分かっていても、死について考えないようにしています。
このように、AさんとBさんとでは人生観も生き方も全く違います。
これは、気質や性格の違いというよりも心の根底にある信念の問題です。
ではあなたはAさんのようでしょうか?それともBさんのようでしょうか?
また、Bさんのような無神論を前提とした考えと生き方が本当に幸せだとあなたは心から同意できるでしょうか?
神の御存在の証拠
神はご存在されます。なぜならば動植物には素晴らしい仕組み、驚くべき秩序があり、その秩序は決して偶然にでき得ないからです。あなたの体をよく見てください。目、耳、口だけでなく、外形、骨格、内臓すべてに素晴らしい仕組みがあります。それは造り主のご存在を私たちに明瞭に証しています。
天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。 (旧約聖書 詩篇19篇1節)
また、あなたの良心が、神のご存在を本当は認めているのではないですか。あなたも罪を犯すときには良心がとがめ、同時に自分に言い訳をして、ごまかしたり、逆にいつかこの罪が裁かれるのではないかと恐れるのではないでしょうか。
死の恐怖の奴隷
なぜ人は死を恐れるのでしょうか?それは死後に、生きている間に犯したすべての罪に対する裁きがあるからです。神は愛なるお方ですが、同時に聖であられ、正しいお方なので罪を激しく憎み怒っておられます。ですから、神を無視し、欲望のまま罪を犯した者は必ず地獄で裁かれなければなりません。
あなたは自分の思う道を、また自分の目の見るとおりに歩め。
しかし、神がこれらすべてのことにおいて、あなたをさばきに連れて行くことを知っておけ。(旧約聖書 伝道者の書11章9節)
神の救い
しかし神は、罪を犯した私たちを救うために、ご自分の御子イエス・キリストをこの世界に遣わされ、十字架の上で私たちの罪を御子に背負わせ、私たちの身代わりとして裁いて下さいました。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新約聖書 ヨハネの福音書3章16節)
神は、自分の罪を悔い改めて、神の御子イエス・キリストを救い主として信じ受け入れる者を誰でも救ってくださいます。
その確証として、神はキリストをよみがえらせて下さいました。
これが本当の救いです。ぜひあなたもこの救いを受け入れて下さい。