多くの人に読まれている本

皆さんは世界で最も多くの人に読まれている書物をご存知でしょうか。それは聖書です。直近過去50年間に39億部が出版され、約3300言語に翻訳されています。実に世界の97%以上の人が母国語で聖書を読むことができるのです。これは他に類を見ない驚異的な普及率です。
その背景には、歴代のクリスチャンたちの、世界中の人々に福音(神様からの良い知らせ)を伝えたいという熱意と多大な犠牲が払われてきた事実があることを物語っています。

宣教師たちの殉教

1956年に、五組のアメリカ人宣教師家族が南米エクアドルのジャングルに住むワオラニ族に福音を伝えようとしました。ワオラニ族は外部の人々と一切接触を断ち、自分たちに近づく者を容赦なく殺す習慣を持っていたので、「アウカ(槍で人を殺す野蛮人という意味)」と呼ばれていました。それでも宣教師たちは、本国での快適な生活を捨て他部族の言語と現地の生活習慣を学んで準備を進めていきました。ところが五人の宣教師を待っていたのは、アウカの毒槍による襲撃でした。彼らは福音をひと言も語らずに惨殺されたのです。このニュースは全米だけでなく世界中に流され、誰もがワオラニ族への伝道は失敗に終わったと思いました。しかし物語はここから始まったのです。

宣教師たちの犠牲の実

なんと殺された宣教師たちの妻や姉妹たちが、彼らの意志を継いで再びワオラニ族への伝道を開始したのです。女性宣教師たちは、部族から逃げて来た一人の女性から部族の言葉を習い、聖書を現地の言葉に翻訳する働きを始めました。もともと彼らには文字がなかったので、女性宣教師たちはアルファベットを定め、現地の人に文字を認識させるところから教育しなければならなかったのです。不思議なことに村人たちは彼女たちを友好的に受け入れ、文字を造り文法を作成する作業に協力するようになったのです。
そしてとうとう36年の年月を経て、ワオラニ語の新約聖書が完成しました。その聖書を用いてワオラニ族に福音が伝えられました。その結果、多くの者が偶像崇拝と憎しみと殺し合いの悪習慣を捨てて、主イエスを信じ救われたのです。五人の宣教師を殺した者さえも回心したのでした。村にも教会が建て上げられ、牧師が誕生し、宣教師であった父を殺された息子が、ワオラニ族の牧師からバプテスマ(洗礼)を受けています。

聖書が教える重要な真理

なぜ宣教師たちは生涯をかけてまで福音を伝えようとしたのでしょうか? それは彼らが伝えるべき重要な真理を聖書の中に持っていたからなのです。その真理とは、
①天地万物の創造主がご存在されること
あなたは自分の腕時計を作った人と実際に会ったことはなくても、腕時計の精巧な仕組みやデザインや正確な動作を見るならば、その技術者の存在を認めることでしょう。同様に、神がお造りになった人間の体や宇宙の秩序正しさを調べるならば、神のご存在を認めることができるのです。
②人間は罪を犯したので、死後に必ずさばかれること
人間は神の愛の対象として造られました。ですから人間の生きる本分は、神様の愛を喜び神様に感謝と礼拝をささげることであるはずです。しかし人間は罪を犯し神に反逆し、神のご支配を拒んで自分の欲望を追及して生きています。あなたはワオラニ族のように人を殺すことはなくても、心の内側で「あんなやつ死んでしまえ!」と人殺しをしていないでしょうか。
内側から、すなわち、人の心の中から、悪い考えが出て来ます。
淫らな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。(新約聖書) 
あなたも例外なく神の御前で罪人です。ですから正義の神様は罪人を死後に地獄に投げ込んで、永遠にさばかれます。そこは永遠の火の池で昼も夜も苦しみ続けます。
③イエス・キリストだけが唯一の救い主であられること
神様は罪人をおさばきになる方ですが、むしろ罪人がさばかれる前に罪を悔い改めてご自分に立ち返ることを願っておられる愛なるお方です。ですから神様は最愛のひとり子であるイエス・キリストを、罪人を救う救い主としてこの世界にお遣わしになりました。
イエス・キリストは私たちの罪のために、身代わりとなって十字架にかかられさばきを受けてくださいました。
ですから、だれでも神を無視する人生が間違いであったと認め心の向きを変えて、主イエスを自分の神・救い主と信じ受け入れるなら、神様は全ての罪を赦し、地獄ではなく天国へ救い入れてくださいます。その確証としてイエス・キリストは死後三日目に肉体をもって復活され、四十日に渡って多くの弟子たちにその姿を現わされた後に、天国に帰られ今も生きておられます。
この福音によって救われます。・・・キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと(新約聖書)

聖書は信頼できる神のことば

もし聖書に記されている、神のご存在・人間の罪と地獄でのさばき・主イエス・キリストの十字架の死と復活・キリストを信じる信仰による救いが、なんの歴史的根拠もない単なる作り話であったなら、どうして宣教師たちはいのちを犠牲にしてまで、当時たった八百人しかいない殺人部族に福音を伝えようとしたのでしょうか?命をかけて真理を伝えようとした宣教師たちの生き様が、聖書が真実な神の権威ある言葉であることを証明していないでしょうか。
当時八歳であった息子が宣教師の父に尋ねました。
「お父さん。もし襲われたなら銃で撃つの?」
父は答えました。「撃てないよ。だって彼らはまだ天国に行く準備ができていないんだから。」
ぜひあなたも神様の主権を認めて、主イエス・キリストをご自身の救い主として信じ救われますように心からお勧めいたします。