上記の言葉は今からおよそ3000年前にイスラエルの国を治めていたソロモンが晩年に語った言葉です。ソロモンは父ダビデ王が周辺諸国を属国にしていた為、非常に強大な王であり、絶大な権力と富を持っていました。彼は1000人の美女を妻とし、ありとあらゆる芸術を楽しむことができました。また、彼自身たいへん賢い人であったので、多くの事業を行い、その全てを成功させました。
およそ人の欲する全てを手に入れたソロモンでしたが、彼の心は「空の空」つまり虚しかったのです。いったい何故だったのでしょうか?

神の形をした空洞

ソロモンと同じく、人の羨むような成功をしたのに人生の虚しさを語った人の中にパスカルという人がいます。39年と言う短い人生にも関わらず、パスカルの定理や、気圧の単位であるヘクトパスカルなどに名前を残すほどの天才でしたが、彼は「人間の心には空洞がある。その空洞は神の形をしている」と言う言葉を残していきました。
このような状況は今も同じではないでしょうか?
人生に成功し、幸せであるように見える人が麻薬や犯罪に手を染めたり、急にふさぎ込んでしまったり、言いようのない虚しさを感じていることがあります。それは、パスカルが語ったように人間には金や名誉、快楽などでは満たすことが出来ない部分、神様でしか満たすことの出来ない空洞がぽっかり空いている、ということではないでしょうか。

神のかたちに造られた

「神は人をご自身のかたちとして創造された」(創世記1章27節)
神のかたちとは姿形という意味ではなく、性質のことです。私たちの人格は神のかたちとして造られているのです。ところが、私たちはその神様から離れて生きるようになりました。その結果、物質的には豊かになったかもしれませんが、精神面では満たされない、空しい思いを常にどこかで感じる者となったのです。

さらなる悲劇

神様から離れた結果は空しい人生だけではありません。聖書は次のようにも語っています。
「人間には、一度死ぬことと、死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル書9章27節)
神さまは義なるお方ですので、私たちが日々犯している様々な罪を必ず裁かれます。罪の裁きは永遠の地獄であると聖書は語っています。空しい人生を歩み、その行きつく所が永遠の地獄であるとは何という悲劇、何という絶望でしょうか

神の愛

しかし、神様は私たち人間を愛しておられるのです。ですから、私たちがこのような空しい人生、恐ろしい裁きから救われることを願っておられます。そのために神様は今から2000年前にひとり子のイエス様をこの世に人として生まれさせて下さいました。
イエス様がこの世に来られたのは人の罪を背負って死ぬためです。義なる神様は罪の裁きを下さないわけにいきません。しかし、愛なる神様は人に裁きを下したくなかったのです。そこで、ご自分のひとり子を犠牲にし、その上に全ての刑罰を背負わせてくださったのです。

甦られたイエス様

イエス様は死後三日目に甦り、その姿を多くの弟子たちにお見せになりました。復活こそ、イエス様が真の神であり、救い主であることの証拠です。そして、聖書はイエス様を信じる全ての者に罪の赦しと永遠の命を約束しています。全てを造られた真の神様があなたの神となり、あなたと共にいつもいて下さり、そしてこの世の何をもっても埋めることができなかったあなたの心を、十字架で示された真実な愛をもって埋めて下さるのです。どうか、下記の聖書の言葉があなたの人生に成就しますように。
「あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った」
(ペテロの手紙第一2章25節)