私が初めて教会へ行ったのは中学3年生の時でした。住んでいた団地のすぐ近くにスウェーデンから来られた宣教師の先生の教会ができました。そして、その教会の掲示板に「英会話を教えます」との貼り紙が貼られていたのです。私は高校受験も控えていましたので、友人3人と一緒に英会話を習いに行くことにしました。

英会話クラスは毎週土曜日の午後に行われていました。先生は英会話を30分ほど教えて下さった後に聖書からお話をしてくださいました。

初めて聞いたお話は新約聖書のマタイによる福音書6章25節からでした。「…空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでもあなたがたの天の父は養っていてくださいます。」

私はこの時、初めてこの聖書で語られている神様こそまことの神様であることを知りました。

実は、私は、小学校1年生の時、毎晩布団に入ると「人間は死んだら、一体どうなるんだろう?」とその事ばかり考えて、なかなか眠れない日が続いていたのです。そして、いつも一緒にとなりで寝ていたおばあちゃんにそのことを尋ねると、答えは無かったのですが、「寝る前に神様と仏様にお祈りをして寝なさい」と言われました。

おばあちゃんが言っていた神様は神棚に祀られている神で仏様は仏壇の中の仏だったと思います。でも、言われた通りに「神様、仏様、今日も一日、有難うございました。」と祈りつつ、何故か「いやー、本当の神様がおられる気がするなあ」と子供心に思っていたのです。

そして、その本当の神様こそ聖書で語られているお方なのだと分かり、そのとき、何だかとても嬉しかったことを覚えています。そして、いつの間にか英会話を習うことよりも聖書のお話を聞けることが嬉しくて教会に通うようになっていました。神様は私の一番の問題だった「人間は死んだらどうなるんだろう?」という疑問にも聖書から教えてくださいました。新約聖書のへブル人への手紙9章27節より、人間には死後にさばきがあることを知りました。

でも、私は傲慢にも自分が罪人だという自覚があまり無かったので、死後のさばきも他人事のように考えていたのです。

しかし、聖書を学ぶうちに、自分の中にある罪に気づかされました。そして、その罪のために死後、永遠の地獄で裁かれなければならないことが分かりました。

神様は、こんな私をもあわれんで下さり、聖書を通して地獄からの救い(福音)を語って下さいました。

 

このような罪人の私のためにもイエス様は十字架にかかって下さり、身代わりに罰を受けて下さったこと、そして3日目によみがえられてご自身こそまことの神であられることを示して下さったことが分かりました。

そして、私は、このイエス様を信じ受け入れました。イエス様を信じて、永遠のさばきの場所である地獄から救われた私は、今、永遠の天国を望みみて歩むことのできる幸いを覚えています。本当に神様のご愛に感謝するばかりです。