1902年、青森県八甲田山での日本陸軍の訓練中に起きた遭難事件は、史上最大の犠牲者を出した山岳遭難事件と言われています。厳寒期の八甲田山を行軍する訓練でしたが、天候が悪化し、吹雪になりました。そのため、行軍を続けるのは困難になり、途中で引き返すことになったのです。その時、ある隊員が木の様子に見覚えがあり、それを頼りに進むべき道が分かると言いました。それで、彼の案内に従って部隊は進んで行ったのです。ところがそれは全くの間違いであり、帰り道も雪に消されてしまい、その結果部隊は遭難しました。その後も帰還しようと力を尽くしましたが、凍傷や疲労のため、最終的には訓練に参加した210名のうち199名が命を失うという大惨事になったのです。間違ったものを頼りにして進むことは、何と恐ろしい結果を生むことでしょう。
さて、このことは、今この冊子を読んでおられるあなたと無関係ではありません。あなたは、自分がどこから来て、どこへ行くのかを知っておられるでしょうか。「人間は何のために存在しているのか?」「人間は死んだ後、どうなるのか?」という重大な質問に対して、明確な答えをお持ちでしょうか。もし、この大切な質問に対する答えをお持ちでないなら、あるいは不確かな答えしか持っていないなら、あなたは人生の遭難者だと言わなければなりません。あなたが豊かで不自由のない生活をしていても、あるいは逆に生活に行き詰まっていたとしても、今のまま進んではいけないのです。手遅れになる前に、ぜひ正しい答えを知ってください。
答えは聖書にある
私たちにその質問の答えを教えることができるのは、人間を造ってくださった神様だけです。神様がおられて、神様が人間を造ってくださったなら(ここでは、あえて「なら」と言いますが)、その創造主なる神様が、人間に対して何も語りかけられないということは考えられません。親が迷子になった子どもを捜して声をかけるように、神様は人間に語ってくださるはずです。そして事実、これこそ神のことばだと自ら語っており、しかもそれを証明することができる書物があります。その書物こそ、神のことばである「聖書」なのです。神様は聖書を通して、人間に語ってくださっているのです。
聖書は、およそ1500年間の長い年月をかけて、時代も身分も異なる40人以上の人たちによって書かれた各部分から成っています。ある人は王様、ある人は羊飼い、ある人は漁師であり、もともと文章を書くこととは無縁と思える人たちもいました。それにも関わらず、なお聖書は一貫したテーマを持つ一冊の本です。読めば読むほど、神様のご計画が順序に従って明らかにされています。これは、神様がその人々を用いて聖書を書かせてくださったからこそ可能なことです。
また、聖書の内容そのものが、聖書が神のことばであることを証しています。聖書ほど、世界中で読まれて来た書物は他になく、影響を与えてきた書物もありません。では、聖書は私たち人間にとって避けては通れない重要な問題について、どのように語っているでしょうか。人間の存在の目的は神様にある
「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記1章27節)
「神のかたち」ということは、肉体の形のことではありません。神様は人間を理性や豊かな感情を持つ者として、神様に似せて造られたということです。さらに、人間は動物とは違って、創造主であられる神様と交わりを持つことができる特別な被造物として造られました。ですから、人間は神様の愛と恵みを知り、神様を心から喜んで礼拝するために存在しているのです。
人間の罪のゆえに、死後に裁きがある
「罪から来る報酬は死です。」(ローマ人への手紙6章23節)
「人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている。」(ヘブル人への手紙9章27節)
人間は神様によって愛の対象として造られましたが、神様に対して罪を犯し、神様から遠く離れて生きる者となってしまいました。その結果、人間は死ななくてはならなくなり、しかも死後に恐ろしい罪のさばきを受けなくてはならなくなりました。今でも、多くの人は神様を全く無視して自分の思うままに生きています。あるいは、木や石で造られた、まことの神ではない偶像を拝んでいます。さらに、生きている間に数えきれない罪を犯しています。それゆえに、死後の行き先は罪の刑罰の場所である火の燃える永遠の地獄なのです。
天国に入るためには…
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)
神様は、罪人である私たち人間をなお愛してくださり、神様のおられる天国に迎え入れたいと願ってくださいました。そして、そのために救い主を遣わしてくださったのです。その救い主こそ、人となってこの地上に来られた神の御子イエス・キリストです。神様は、この罪のないイエス様を十字架につけてくださり、私たち罪人の身代わりに、全ての罪の刑罰を受けさせてくださいました。さらにイエス様を死後三日目によみがえらせてくださり、この御方が救い主であられることを証明してくださいました。誰でも、イエス様を救い主として信じ受け入れる者は、その信仰によって救われ、地獄ではなくて天国に行くことができます。イエス様こそ、私たちが天国に入るための唯一の道なのです。
神様はあなたにも罪の赦しを与え、神様とともに歩む者にしたいと願っておられます。ですから、どうか一刻も早く、間違った道に進むことをやめて、神様に立ち返ってください。そして、生きる目的を知り、また確かな行き先を知って歩む方となってください。