
キリスト信仰の土台が復活であるということは、クリスチャンもノンクリスチャンも認めていることです。クリスチャンは皆、イエス・キリストが死んだ後3日目に蘇ったことを信じています。それに対して「死人が蘇るということはあり得ない、空想話である」と多くの人が考えています。しかし全ての人がまず認めなくてはならないことがあります。それはキリストの墓は空になったということであり、現在もキリストの遺体は見つかっていないということです。このことについて復活を認めない人たちは多くの説明を試みました。
復活に反対する者たちの論拠
① 弟子たちが キリストの遺体を盗んだという説
当時墓の前にはローマの兵士たちが見張りをしていました。そのため、戦いの素人である弟子たちが墓に迂闊に近付くならば殺されてしまいます。それは大変危険なことですし、彼らにはそのようなことをする勇気も気力もありませんでした。また弟子たちはキリストの復活の後、命懸けで福音宣教を行いました。そして多くの弟子たちが迫害の中、いのちを落としました。もし弟子たちがキリストの遺体を盗んだのであるならば、彼らは自分たちのついた嘘のために死んだことになります。人間は自分を守るために嘘をつきますが、嘘のためにいのちを捨てる人はひとりもいません。
② ユダヤ教の指導者やローマ政府がキリストの遺体を盗んだという説
ユダヤ教の指導者やローマの皇帝・役人にはキリストの遺体を盗む理由は全くありません。それはかえって自分たちの反対していたキリスト信仰を強めることになるからです。また彼らが本当にキリストの遺体を盗んでいたのならば、弟子たちが宣教を始めた際にその体を提示すればよかったのです。しかしそうできなかったということは、彼らがキリストの体を持っていなかったことをよくあらわしています。
③ 墓に行った者たちが墓を間違えたという説
弟子たちが混乱していて、空であった墓に行ってしまったという説ですが、そうであるならば、違う者たちがキリストの墓に行って遺体があることを証明できたはずです。
④ 十字架上で死んだのはキリストではなく、別人だという説
十字架刑は多くの人の前で行われました。別人になりかわっていたならば、すぐに周りの人は気付いたはずです。この説明もこじつけでり、大変に苦しい説明です。このように、キリストの墓が空っぽになったことについての満足な説明はないのです。そしてもう一つの大切な事実は復活したキリストを多くの人が目撃していたという事実です。使徒パウロは新約聖書コリント人への手紙第一の中で「キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています」と記しました。キリストは一部の人に現れたのではなく、また一度しか現れたのではなく、複数回、また多くの人に蘇った姿を現されました。この手紙はキリストの死と復活の約25年後に書かれた手紙です。ですから誰かがこの記述に疑問を持つならば、ユダヤの地方に行って確かめることが出来ました。もしこの証言が何の根拠もない嘘であるならば、聖書は偽りの書と断定され、聖書は現在のように多くの人に読まれていなかったでしょう。このようにキリストの復活は歴史的事実であり、復活されたキリストは生ける神の御子なのです。
救い
ではなぜ神であられるお方が十字架の上で死に、また復活される必要があったのでしょうか?それは罪人である私たちを永遠の地獄から救うためでした。私たち人間は神によって造られたにも関わらず、神を無視して、欲望のままに生きています。神様は罪人に対して激しく怒っておられ、死後、永遠の火の池・地獄で裁こうとしておられます。しかし神様は私たち人間が死後地獄で苦しむことを願っておられません。ですから神様はご自分の御子を十字架上で私たちの身代わりに裁いて下さったのです。イエス・キリスト様は本来、私たちが受けるべき刑罰を全て背負って死んでくださいました。そしてイエス・キリスト様は復活されることにより、ご自分が救い主であることを明瞭に示されたのです。皆様がこのお方を信じるならば、罪は赦され、死後地獄から救われます。是非このお方を信じ、救いを得て下さい。
御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
ヨハネの福音書 3:36