多くの情報

情報化社会と言われて久しい昨今、私たちの周りには多くの情報が溢れています。テレビ、新聞、スマートフォン、ラジオなどから私たちはいつでも多くの情報を得ることができます。またLINEやInstagramなどのSNSから友人や知人の様子をリアルタイムで知ることができます。大変便利な世の中ですが、その反面多くの情報に触れていることから情報過多になり、最も知らなければならない情報を得損ねていることがあります。ですから私たちは自分にとって必要な情報を取捨選択する必要があります。自動車の購入を検討している人にとって自動車会社のチラシは有益でしょうが、そうでない人には価値はありません。また薬や健康食品の情報は、健康な人には必要ないでしょう。多くの情報であふれている今日ですが、全ての人が絶対に知らなければならない情報があります。決して聞き逃してはいけない情報があります。それは、「人は死後どこに行くのか」ということです。そして死後について神のことばである聖書は明確に語っています。

聖書

聖書は1900年以上も前に完成した書物であり、完成して以来今日に至るまで多くの人に読まれ続けている書物です。毎年50億以上も発行・印刷されており、2500を超える言語に翻訳されています。このような書物は他にありません。そして聖書には多くの預言が記されていますが、全て的中しています。
情報に溢れている今の時代は、正しい情報と間違った情報を見分けなればなりません。そしてそれを見分けるためには情報の発信源が信頼できるかどうかに掛かっています。国や県が発信した情報か、或いは匿名の掲示板に記されていた情報であるかで全く信憑性が違います。しかし先に述べたように聖書程、信憑性の高い書物は他にありません。その聖書は人間の死について、はっきりと語っています。

聖書には「人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブル人への手紙9章27節)と書かれてあります。人は必ず死にます。そして死後、神の前に立ち、神から裁きを受けなければならないのです。なぜならば人は生きている間多くの罪を犯すからです。

罪と裁き

私たちは生きている間多くの罪を犯しますが、その罪の根本は何でしょうか。それは神の支配を拒む、ということです。神様は私たちに毎日生きていくために必要なものを与えて下さっています。食べるものを与え、飲む水を与え、太陽の光を与えて下さっています。そして動物や植物、美しい景色、これらのものを通して神様はご自分がご存在されることを私たちに対して明らかにしておられます。そしてご自分を信じるようにと語りかけておられるのです。ところが多くの人々はこの神様の呼びかけを無視し、自分の思いのままに生きています。それが罪です。「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。」(ローマ人への手紙 1章20節)
そして罪を犯した人間は、火の池である地獄に行かなければなりません。地獄は永遠であり、一度地獄に行ってしまったならば、二度と出てくることは出来ません。永遠にそこで苦しみ続けなければならないのです。しかし神様は憐れみ深いお方であり、愛なるお方です。ですから神様はその地獄に行かなくても良いように、救い主を遣わしてくださいました。そのお方はイエス・キリスト様です。

最も大切な情報

イエス・キリスト様は今から約二千年前に処女マリヤを通してお生まれになりました。そして三十数歳のころ、本来であるならば私たちが受けるべき罪の刑罰を背負い、十字架に掛かって死なれました。イエス様には何の罪もありませんでした。しかしその聖なるお方が私たちのために身代わりとなって死んでくださったのです。しかし死んで終わりではなく、死後三日目に蘇られました。そして今も生きておられるのです。このお方を信じるならば全ての罪が赦されて、死んだ後も地獄ではなく、天国に行くことができるのです。これが全ての人が知る必要がある情報です。

これ程大切な情報、これ程大切な福音(良き知らせ)はありません。是非、イエス・キリスト様を信じてください。救いを得て下さい。 「 見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。」(コリント人への手紙第二 6章2節)