みなさんは死後について考えた事はないでしょうか。「死んだら私は消えてなくなってしまうのか」「死んだ後の世界があるとしたら、どんな所なんだろうか」このようなことは、なかなか口に出して聞くことはありませんが、子どもでも真剣に考えていて、答えを欲しています。しかし、いくら考えてみても答えは見つかりません。なぜなら、死んだ後の世界を何日も過ごして生き返った人はいないからです。では私たちは知ることがまったくできないのでしょうか。
聖書が語る死後
聖書には死んだ後の事について記されています。どのようなことを語っているのか、ご紹介します。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」ヘブル9章27節
人は死んで終わりではなく、死んだ後に神様からさばきを受けると語っています。神様は人のすることに関心をもっておられます。特に神様の善悪の基準に照らして、死後にさばきを行われます。
さばきの様子
「また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。…彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」ヨハネの黙示録20章12~15節
神様は一人一人の行いに応じてさばきを行われます。もし罪一つなく完全に正しい歩みができたのなら天国に入れていただけます。しかし罪を犯した人は火の池である地獄に投げ込まれてしまいます。
罪とは
「罪とは無法のことです。」ヨハネの手紙第一3章4節(エマオ訳聖書)
無法とは神様の支配を拒絶することを意味しています。私たちを造られ、生かしておられる神様に感謝する事もなく、自分の人生なんだから、自分のやりたいように生きるという態度が無法であり罪なのです。
さばきからの救い
「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられた」コリント人への手紙第一15章3~4節
神の御子イエス・キリストが人となってこの世界に来られました。そして皆様の罪を背負って十字架にかかり、神様からのさばきを身代わりに受けてくださったのです。罪の刑罰を受けられたキリストは死なれましたが、死後三日目によみがえられました。
このイエス・キリストを、自分の罪のために裁き受けて死なれ、よみがえられた救い主であると信じ受け入れるなら、全ての罪はゆるされ天国に入れていただけるのです。
「御子(キリスト)を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」ヨハネの福音書3章36節
どうぞイエス・キリストをご自分の救い主として信じて、天国に行ける方となってください。