~愚かな金持ち~

イエス様がなさったお話しに、このようなものがあります。

「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」

この金持ちは自分の人生についてよく考えました。若いときにしっかり働き、たくさんの財産を蓄えて十分になったら、それを使って楽しもうと考えました。そして彼はその考えに従って一生懸命に働きました。また天候にも恵まれて毎年豊作でした。ついに死ぬまで遊んで暮らせるだけの財産を蓄えることができました。さっそく彼は次の計画にうつり、財産を使って楽しもうとしました。すばらしい人生設計のように見えますが、神様の評価は違いました。
「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」
神様はこの金持ちを愚か者だとおっしゃいましたが、一体何が愚かだったのでしょうか。彼は真面目に働きましたし、人生についてよく考えました。しかし彼が毎日元気に働くことができること、また天候が守られていることなど、それらを支えてくださっておられる神様については全く考えませんでした。これが愚かだったのです。

創造主なる神

私たちの住むこの世界は非常に美しく、また秩序正しく整っています。どのような秩序や仕組みも偶然にはできません。たとえば家は設計士や大工の知恵と力がなければできません。誰も作らずに自然にできることはありません。同じようにこの秩序ある世界も知恵を持ち力を持った御方が必要です。何者の関与もなく、これほど秩序正しい世界はできません。その御方こそ創造主なる神様です。神様はこの世界を造られ、また私たちが生きるために必要な全ての物を造り、今も支えてくださっているのです。私たちはこの神様に生かされていることを認めるべきです。

罪のさばき

私たちは本来なら神様を認め、何のために生かされているのか神様のみことばに耳を傾けるべきです。しかし多くの人は神様を無視し、神様から離れて生きています。ある人は「いや私は神を信じています」と言うかもしれません。しかし自分の願い事を聞いてくれる便利で都合のよい神だから信じているのではないでしょうか。この世界を造られ、私たちが行ったすべてのことについて正しく裁かれる御方を、すなわち絶対的な主権者であられる神様を信じているでしょうか。むしろそのような神様がご存在されることを聞くと「本当に神がいるならどうしてこんなひどいことがあるんだ」とすぐにつぶやいてはいないでしょうか。
神様が何のために生かしてくださっているのかも考えず、自分のやりたいように生きている身勝手な生き方を、神様は必ず裁かれます。聖書には次のように書かれています。
「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている…」ヘブル人への手紙九章二十七節
その裁きとは死後の地獄での永遠の苦しみです。誰もこの裁きを逃れることはできません。

裁きからの救い

今から約二千年前にイエス・キリストは人となってこの世界に来られました。この御方は神の御子が人となられた方です。イエス・キリストは全く罪のないご生涯を送られましたが、当時の極刑である十字架にかかって死なれました。そして、その身に私たちの罪全てを背負われ、さばかれるべき私たちの身代わりに十字架上で罪の刑罰を受けてくださいました。イエス・キリストは十字架上で死なれましたが、死後三日目に肉体をもってよみがえられ、御自分が神であり、この救いが確かなものであることをはっきり示してくださいました。
今は誰でも、自分の神様に対する態度が間違っていた事を認めて悔い改め、イエス・キリストを救い主と信じるなら、その信仰によって罪赦され、死んだ後天国に入れていただけるのです。ぜひ皆様にお勧めします。ご自分が裁かれるべき罪人であることをお認めになり、罪の裁きから救われることを求めてください。そして、そのために死んでよみがえられたイエス・キリストを救い主と信じ受け入れてください。