忙しい時代

現代は大変に忙しい時代です。 会社員も主婦も学生も時間に追われています。 仕事、家族の世話、近所付き合い、勉強、 部活動等、 しなければならない仕事、 処理しなければならない情報が山積みです。 その忙しさの中で物事をじっくり考える時間もありませんという方が多いでしょう。しかし少し立ち止まって考えて頂きたいことがあります。
それはなぜ生きているのか? 何の目的のために生きているのだろうか? という問題です。
皆様は今何かの目的をもって生きておられますか。

目的のないものはない

目的も無いのに、 つくられたものはありません。 椅子であっても机であっても車であっても目的をもって作られています。 小さな鉛筆一本であっても何かを書く、という目的のために作られています。私たちが普段気にかけることがない鉛筆にすら作られた目的があるにもかかわらず、 鉛筆よりもはるかに精密で高度な生き物である人間が生きる目的をもっていない、 目的のないままただ生きている、 というのは何とおかしなことでしょうか。 私たちは造り主である神様を無視して生きているので、 造られた目的も分からなくなっているのです。 では人間は一体何のために造られたのでしょうか?
それは真の神様の愛と恵みを知り、喜ぶために造られたのです。
しかし人間はその最高の目的から目を離し、 自分勝手に生きる道を選んでしまいました。 自分の思いのまま生きることが幸せであると勘違いしています。 しかし本来の目的から外れてしまっているのでそこに本当の喜びもなく、 満足もありません。 かえってその心は虚しくなっているのです。
彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。
ローマ人への手紙 1:21

そして神なき人生は虚しいだけではありません。 造り主であられる神様を無視して生きる、というのは大きな罪です。 すべての上におられ、 今も生きておられるお方を無視して生きるという生き方自体が大きな罪です。 しかし残念ながらほとんどすべての人が、神様を無視して生きています。神様はご自身を無視して生きている人たちに対して激しく怒っておられます。 その怒りの場所が燃える火の池地獄です。 人間は死後、地獄に行かなければなりません。 地獄は実際に存在し、 一度入ると決して出てくることが出来ない裁きの場所です。
そればかりか、 私たちとおまえたちの間には大きな淵がある。ここからおまえたちのところへ渡ろうとしても渡れず、 そこから私たちのところへ越えて来ることもできない。
ルカの福音書 16:26

救い

しかし神様は人を惹きたいお方ではありません。 神様は人間を地獄に入れて喜ばれるようなお方ではないのです。反対に神様は全ての人が救われることを願っておられます。 ですから神様は私たちの罪を赦すため、 永遠の地獄から救うために、 御自身の愛するひとり子をこの地上に遭わしてくださったのです。 そのお方こそイエス・キリスト様です。 イエス様は今から約2000年前、 この地上に人として来て下さいました。 そして三十数年の生涯の終わりに、十字架の上で死んでくださいました。 本来ならば私たちが地獄で永遠をかけて受けなければならなかった刑罰を、 イエス様が身代わりに受けて死んでくださったのです。 そして死んで終わりではなく、 死後三日目によみがえって下さいました。 それによりご自身こそ真の神であり、 救い主であることをはっきりと示されたのです。 是非このイエス・キリストを信じて救いを得て下さい。 そして造られた目的を知り、喜びにあふれた人生を送ってください。
しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。 わたしが与える水は、その人の内で泉となり、 永遠のいのちへの水が湧き出ます。
ヨハネの福音書 4:14