日本の多くの教会の屋根や壁面には十字架が掲げられています。皆さんも一度は町の中で教会の十字架を見られたことがあると思います。十字架はキリスト信仰の象徴であり、皆さんも十字架を見るならば教会やイエス・キリストを思い起こされるかもしれません。ではイエス・キリストがどうして十字架の上で死なれたかを皆さんはご存知でしょうか。

十字架とは何か

現在では十字架のネックレスやペンダントを身につけ、ファッションの道具としている人も少なくありません。また多くの病院には赤十字のマークがあり、現在では十字架というのは愛や救護の象徴と多くの人に見られています。しかし本来十字架は装飾の道具ではありませんし、愛や救いを表すものでもありません。十字架は紀元前6世紀ごろから紀元4世紀ごろまで行われていた死刑の道具であり、十字架刑は大変残酷な死刑の方法でした。
十字架刑とは十字に交差させた木に、手足をくぎなどで打ちつける磔刑です。釘で打ち付けられると十字架にかけられた人の手足首に激痛が走ります。さらに十字架に吊り上げられると釘を打ち込まれた傷口に全体重がかかり、さらなる激痛が襲います。そして十字架にかけられた人は呼吸を保つために、何度も体を持ち上げて息をしますが、徐々に手足の力だけで身体を持ち上げることができなくなり、呼吸困難へと陥り、ついには心拍異常を起こして絶命します。この恐ろしい十字架にイエス・キリストは磔にされたのです。なぜ十字架にかかって死なれたのでしょうか?どうしてそのような恐ろしい死に方をされる必要があったのでしょうか?それはあなたの罪のためであったのです。

人間の罪

私たち人間は生きている間に多くの罪を犯します。人を憎み、人を馬鹿にし、また嘲り、妬みます。また多くの人が木や石にすぎない像を拝んでいます。そのような罪は誰もが犯しているではないですか、と思われるかもしれません。しかし義なる神様はそれらの罪を一つも見逃すことはおできになりません。そして全ての罪を覚えておられます。聖書には神様が一人ひとりの罪を記録しておられると記されています。神様は罪を犯した皆さんに対して激しく怒っておられるのです。
「不義によって真理を阻んでいる人々のあらゆる不敬虔さと不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。」(ローマ書1章18節)
そして罪を犯した人間を死後、火の池の地獄において裁こうとしておられます。人間は死んで終わりではありません。永遠の地獄が存在しており、地獄に入ったならば決して出てくることは出来ず、永遠に昼も夜も消えない火で焼かれ続けなければなりません。

十字架の目的

しかし憐れみ豊かな神様はあなたが地獄に行くことを望んでおられません。却って地獄ではなく天国に行く方となることを望んでおられるのです。ですから神様は愛する独り子のイエス・キリストをこの地上に遣わし、十字架にかけられたのです。イエス・キリストは十字架上で全人類の罪を身代わりに背負い、死なれました。本来は私が受けるべきであった、またあなたが受けるべきであった刑罰を負って十字架上で死なれたのです。このお方の死によって父なる神の罪に対する怒りは完全に宥められました。十字架の上で裁きの執行は終わったのです。ですからあなたがこのお方の十字架の死を自分の罪であったと認め、このお方を信じるならば、あなたの罪は赦され、地獄から救われます。永遠のいのちが与えられ、死後も神様のおられる天国に行くことができるのです。
十字架は全人類に対する神の愛のしるしです。父なる神は愛する御子を与えるほどまでに、あなたを愛されました。イエス様はあなたを救うために十字架上で苦しまれたのです。この愛を無駄にしないでください。イエス・キリストを信じて罪の赦しを得てください。
「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」(ローマ書5章8節)